Scene 159歳の誕生日
59歳の誕生日に、
僕は自分の声で歌を世に出しました。
「夢が叶ってよかったね」
そう言ってくれた人がいました。
でも――
少し困りました。
僕は、ミュージシャンになりたいと思ったことが一度もないし、
そんな夢を見たことも
なかったからです。
じゃあ、なぜ歌ったんだろう。
その答えを探していくと、
僕はずいぶん昔の自分まで
遡ることになりました。
Lenny.J’s Room
まだ始まってもいないのに
終わり方ばかり教えられて
この胸の奥で
何かが動いてる
59歳の誕生日に、
僕は自分の声で歌を世に出しました。
「夢が叶ってよかったね」
そう言ってくれた人がいました。
でも――
少し困りました。
僕は、ミュージシャンになりたいと思ったことが一度もないし、
そんな夢を見たことも
なかったからです。
じゃあ、なぜ歌ったんだろう。
その答えを探していくと、
僕はずいぶん昔の自分まで
遡ることになりました。
子どもの頃、
僕は歌うことが好きでした。
絵を描くことも、
ものを作ることも好きでした。
ただ、好きだからやっていました。
でも、いつの頃からか、
少しずつやらなくなりました。
自分では楽しくやっていても、
誰かの言葉や評価によって傷つき、
歌うことも、
絵を描くことも、
いつの間にか
自分から遠ざけるようになりました。
小学生の頃、
スポーツが好きでした。
運動神経は良い方で、
大抵のスポーツはできました。
野球も大好きでした。
スポーツの中で一番好きなのに、
練習しても
上手くなりませんでした。
ほとんど補欠でした。
それでも、
野球が好きだったので続けました。
補欠でも、
チームの役に立ちたいと思っていました。
あの頃から僕は、
自分を「脇役」のように
感じるようになっていたのかもしれません。
そして、その感覚は、
大人になってからも残っていました。
中学生の頃は、
体調のことなどで
思うようにいかないこともありました。
高校受験にも失敗しました。
一年遅れて高校へ入学しました。
あまり学校には
馴染めませんでした。
高校生活はしんどかったけど、
学校の外ではそれなりに楽しくやっていました。
高校を卒業した直後には、
原因不明の病で入院しました。
良いお医者さんで、
僕も好きな先生でしたが、
「君の病気を私は治すことができない。ごめんね。」
と言われ、
別の病院へ移ることになりました。
転院先の病院でも原因が分からず、
衰弱していき、
自分でも
ダメかもしれないと思いました。
あのとき初めて、
「生きたい」
と本気で思いました。
原因も分からないまま、
奇跡的に回復していきました。
医師も僕の回復には驚き、
予定より早く退院することができました。
その後、大学へ進みました。
大学は経済学部でした。
そこで、
簿記原論という科目を取りました。
授業を聴いていても、
何をやっているのか
さっぱり分かりませんでした。
初めての試験で
20点くらいでした。
そこで思いました。
「やめよう。他で単位取ろう」
簿記原論は捨てました(笑)
当時、大学には
コンピューターの授業もありました。
プログラミング?
意味不明で、
宇宙語を聴いてるみたいでした(笑)
「パソコンなんか一生やらない」
そう思いました(笑)
ところが社会に出ると、
会計事務所で働くことになりました。
大学では捨てた簿記が、
今度は仕事で必要になりました。
だから覚えました。
パソコンも必要になったので、
自分で覚えました。
苦手だと思っていたことが
できるようになって、
少しは自信を持ちました。
必要になれば、
嫌でもやってみる。
分からなければ、
人に聞いたり、
調べたりして覚える。
そうやって、
できることは少しずつ増えていきました。
でも、
自分が何をやりたいのかは、
よく分かりませんでした。
誰かに必要とされれば、
動くことはできました。
でも……
30代の前半。
僕は人を信じたことで、
ある事件に巻き込まれました。
信じていた人に裏切られ、
さらに、
身に覚えのないことで
嵌められるような経験もしました。
人間関係も、
お金も失いました。
そして僕は、
人を信じられなくなりました。
心の傷が大き過ぎて、
何も感じることができなくなりました。
それから数年が経ち、
僕はもう一度、
人を好きになることができました。
閉じていた心が、
少しずつ開いていきました。
でも、
人に心を開くことと、
自分自身を世界へ出すことは、
同じではありませんでした。
自分が本当に思っていることを
外へ出すことには、
どこか怖さが残っていました。
その後も、
様々な仕事をしました。
できることもかなり増えました。
誰かに必要とされれば、
そこに応えようとしてきました。
あるとき、
新規事業プランのコンテストがあり、
新しい事業を考えていました。
企画を作って、
仕組みを考えて、
かなり形になったところで、
ふと思いました。
「……オレ、これ本当にやりたいか?」
よくよく考えたら、
「やりたくね」
と思いました(笑)
できることと、
やりたいことは、
同じではありませんでした。
両親の介護が
だんだん大変になっていきました。
僕自身も疲弊し、
体調を崩し、
仕事ができなくなりました。
一日の終わりに、
酒を飲みながら音楽を聴く。
それだけが、
唯一の自分を保つ手段でした。
そんなある日、
僕はノートを開きました。
自分の中に
ぐちゃぐちゃに溜まっていた言葉を、
ただ書き殴りました。
文章にしようとしたわけではありません。
誰かに読ませようとも
思っていませんでした。
思いついたことを、
ただ書きました。
書いているうちに、
「これ、詩になるかも?」
と思いました。
それから、
詩を書くようになりました。
2024年の秋。
よく晴れた日に、
僕は一人で海へ行きました。
近くに住む友人に連絡すると、
さつまいもの天ぷらを持って
来てくれました。
その日は、
晴れてはいたけれど、
かなり風の強い日でした。
二人で防波堤に座って、
カラスに狙われながら、
さつまいもの天ぷらを
食べていました(笑)
そのとき、ふと思いました。
「こんな状況、普通ないよな(笑)」
あまりにも非日常的で、
面白い光景でした。
「ミュージシャンだったら、
こんな状況を歌にするんだろうなぁ?」
ミュージシャンじゃないけど、
自分でやってみようと思いました。
その日の出来事から
ちょっとしたストーリーを作って、
詩にしてみました。
でも、
詩を歌詞にするには
どうすればいいのか分かりません。
そこで、
いろいろな歌詞を見ながら、
歌詞の作り方を
自分なりに研究し始めました。
ちょうどその頃、
AIで音楽を作れることも知りました。
自分で作った歌詞から、
試しに曲を作ってみました。
聴いてみると、
自分の予想以上の出来栄えに
感動しました。
詩を書いて、
歌詞にして、
曲を作る。
気がつけば、
寝るのも忘れて、
曲を作っていました。
完全にハマっていました(笑)
音楽を作ろうなんて、
それまで考えたこともなかったのに。
あれだけ歌詞の作り方を
自分なりに研究したのに、
実際に書くときは、
ほとんど何も考えていません(笑)
酒を飲みながら、
ふっと言葉が出てくる。
よくミュージシャンが、
「曲が降ってくる」
と表現しますが、
そんな感じでした。
そして、
自分の中にあった感情や、
ずっと消化できずにいた思いも、
歌にするようになりました。
悲しさも、
寂しさも、
言葉にして、
音楽にして、
外へ出していきました。
だからといって、
何かを乗り越えたわけではありません。
失ったものが
戻ってきたわけでもありません。
ただ、
少しだけ、
呼吸ができるようになりました。
そして、
「まだ、いけるかもしれない」
そう思えるようになりました。
58歳の誕生日には、
《birth/》という曲を
Facebookで公開しました。
それまで歩いてきた人生や、
選ばなかった道、
まだ見ぬ景色のことを
歌にしました。
それから、しばらくして。
ある方との出会いがありました。
その出会いが、
僕の転機となりました。
それまで、
僕の音楽作りは
自分のためのものでした。
ところが、その方は
映画を制作しようとしていて、
映画の挿入歌を作る人を
探していました。
その方が書いた詩を、
僕が音楽にする。
とても夢のような話でした。
映画のために、
二人で2曲の挿入歌を作りました。
その2曲が、
映画の中で使われることになりました。
映画のクレジットには、
作曲者として、
Lenny.Jという名前が
載ることになる。
だったら、その前に。
自分からLenny.Jを
世の中へ出しておきたい。
そう思いました。
そして59歳の誕生日。
《Time Left to Live》を、
自分の声で歌いました。
TuneCoreに登録して、
世界へ配信しました。
ミュージシャンになることが
夢だったわけではありません。
歌手になろうと
思ったわけでもありません。
僕にとってそれは、
Lenny.Jとして、
自分を表現していく。
その覚悟のようなものでした。
売れなくてもいい。
そんなに聴かれなくてもいい。
それでも、
自分の言葉を、
自分の声で、
自分から世の中へ
出しておきたかった。
……とはいえ。
配信したあと、
「これ、話題になったらどうしよう」
と、少し怖くなりました。
あまり聴かれていないことに、
ちょっとホッとしたくらいです(笑)
ちなみに、
《Time Left to Live》を
自分で歌ったことについては、
「オレも唄えるんだよ」
と、あとで言いたかっただけです(笑)
昔の僕は、
できることが増えても、
自分が何をやりたいのかは、
よく分かりませんでした。
誰かに必要とされれば動ける。
必要なら覚える。
でも、
「じゃあ、自分は何をやりたいんだろう」
それは、
ずっとよく分かりませんでした。
今は少し違います。
やりたいことがありすぎて、
どこから手をつければいいのか
分からないくらいです(笑)
昔だったら、
「面白そうだけど、
オレ一人じゃ無理だな」
そう思って、
そこで閉じていたこともありました。
今は、
「みんなと一緒なら、
できるんじゃないか」
と思っています。
僕は昔から、
結構頑固です。
自分で納得しなければ、
なかなか動きません。
それは昔から
分かっていました。
でも今回、
自分の人生を振り返っていて、
もう一つ、
改めて気づいたことがありました。
僕の原動力は好奇心。
「これ、なんだろう」
「どうなってるんだろう」
「やってみたら、どうなるんだろう」
子どもの頃から、
ずっとあったものです。
でも、
その好奇心の先にある可能性を、
自分で諦めて、
閉じてしまったこともありました。
今は、
自分がどういう人間なのか、
だいたい分かってきた気がしています。
そして、
自分の可能性については、
もう先に決めなくてもいいと
思っています。
一人だったら、
諦めることもある。
でも、
みんなと一緒なら、
可能性は無限大だと思っています。
今、僕には
LennyxCREWのみんながいます。
話をして、
一緒に考えて、
笑って、
ときどき、
「そうじゃなくて……」
と僕が説明し直したりしながら(笑)
音楽が生まれたり、
物語が生まれたり、
新しいアイデアが
生まれたりしています。
今は、
音楽を創っています。
物語も創っています。
Webも創っています。
自分の中にあるものを
いろんな形で外へ出しています。
「オレは、自分の中にあるものを
吐き出したいんだ」
それが、
僕の本当にやりたいことでした。
そして、それを、
一人ではなく、
みんなと一緒に、
形にしていきたい。
今、59歳。
やっと答えに辿り着いた――
……という話でもありません(笑)
これから何が生まれるのかも、
僕には分かりません。
でも今は、
それが楽しみです。
僕はまだ、
途中にいます。